yamopetaブログ

ガーゴイルゲッコーとADHD(発達障害)とクラフトとか同棲の日記⋆*

ロッキーロード


自分の思うこと書きたいので書きます。


結構重い内容です(((;°▽°))
メンタル弱ってる方は注意ですww
障害の話











運命なんか存在しないという考え方
たまたま論です笑

白と黒はコインの裏表 
その時風が吹いたから白が出た 
昨日なら黒が出ていたかもしれない
そこに意味を見出すのは勝手だが、
現実を受け入れるための防衛機制に過ぎない

生まれた時代
日本に生まれたこと
そこに意味はない
ウガンダに生まれてたかもしれない
女に生まれたこと 
男だったかもしれない 
美人かブスか

時代背景や文化が違えば評価が違う

自分が発達障害 adhdで生まれたこと
並スペックで生まれたかった
誰だって並以上のスペックが欲しい
運が悪かったねだけじゃ済まされない
だけど本当にただ運が悪かったんだよ
一生運が悪かったねを背負って生きる

視力を例に考える 

眼鏡コンタクトなしでは生活できない人
視力がずっと1.5ある人

眼鏡がある時代 
眼鏡がなかった時代

コインの裏表である

視力が0.いくつしかない人は結構いるが、
視力の低い人が盲人として扱われて
生活がかなり制限されていた時代がかつて日本にあった

一方adhd
子供の5%前がadhdとして生まれ
日本の成人全人口の1.5-1.7%がadhdの症状を残したまま大人になる
 
それって結構な割合だと思う

・視力がとても悪い
・注意力欠陥多動性障害(adhd)

どっちを選ぼう?

今の時代だからadhdは障害であるが

ナウマンゾウ追っかけてる時代ならどうだっただろう

視力ないほうが致命的なのでは

運命に意味があるというならば
何か意味があって障害もって生まれたのだろうか
運命なんて言わせない
たまたま裏が出ただけだ

私は優秀なあなたに生まれたかった

これも偶然がもたらした現実
生きるの嫌なら死ねばいい
でも死ぬことすら許しはしない社会
その割に生きるためのサポートは少ない





きっと障害者が一定数いることが社会にもたらす利益はある
社会を成す動物は仲間の犠牲の上に成り立っている

一個人として、障害者を思いやるとか、差別するとかそんな小さな話じゃなくて
ヒトという社会性の動物の話をしてる

 また障害と言っても視覚的にパッと見で誰でも分かる障害と
発達障害のように理解されにくい障害があり、それぞれの大変さは全く異なるものだと思う

そもそも
一定の割合で生まれる発達障害って本当に障害なのか? 

何故一定の数が生まれ続けるのか

人間の1タイプに過ぎないのではないか。

自然界に障害と健常のハッキリとした境なない

ただこれだけは言える
生物の世界において、平均から遠くなることが生存率を低める

例えば知能指数 
IQ 100前後が平均

70前後くらいからグレーゾーン

120が東大生の平均だっけ?

125の子にあったことあるけど、あれはあれで大変そうだと思った。

わかりすぎてしまう、
レベルを下げて話す
そのストレスが一生身に降りかかってくる

そういうのも障害と呼べるのでは




そういうことを考えてるとずっと考え続けてしまう

興味深いテーマ(`・ω・´)

決して人生を悲観してるわけではなく!
むしろ楽しんでます!