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yamopetaブログ

ガーゴイルゲッコーとADHD(発達障害)とクラフトとか同棲の日記⋆*

恐竜飼いたい

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ずるい、何よそのチラリ
ズルすぎる。

涼しくなったら水槽タイプのケージで飼おうと思ってます!
ゆくゆくはビバリウムで飼いたいんです。

緑と苔が生い繁る中にヨウコの尻尾の先だけ見えててニヤリとしたい

ビバリウムのレイアウトをネットで色々調べてイメトレ中。。

ビバリウムの教科書は有尾・無尾飼いのブログ!

両生類飼ってる人のほうがレイアウト凝るのは、両生類の特性故そして、両生類を選ぶ人間の気質も関係しているのではないか…?!

たまに人ってどうしてこんなに多様なのかなぁと思ふ。

性格とか容姿とか体のつくりとかはまだ理解できる。

でもよくわかんなくて不思議なのは、
「これ無いと生きてけない」
とか「なんか結局これに行き着くんだよね」
っていう、本質的に好きな物がある人の、好きな物が、どうして一人一人ちがう必要があるのか…?

というか、そこまで偏って好きなものがあることは、何かにトラウマがあるのと同じくらい人の行動パターンを制限させるのではないか??

それが個々にとってどのようなメリットがあるのか?

車好きな人とか
生き物すきな人とか
アイドルすきなひととか
アニメすきなひととか
特にこれというものないけど幅広くなんでも楽しめる人もいるのに


しかもこれほんとは人だけじゃなくてすくなくとも社会性を持つ生き物にも言えると思う


特定のオモチャが好きとか、
特定の匂いが好きとか
このぬいぐるみじゃないとダメとか

だから何なのよ?っていう拘りってどこから、何のために生まれてくるんだろう。


しかも、同じジャンルの好きな物であっても、例えば同じ生き物好きにも飼うのが好きなやつ、飼うのに反対するやつ、採るのが好きなやつ、殺して標本にするやつ、釣るのが好きなやつ

色々いて

飼うのが好きなやつらの中に
全体的に浅く広くいくやつとか、
特定のなんかをずっと飼うやつとか色々あって、

魚の中にも

海水
淡水

淡水なら金魚より熱帯魚が好きとか

熱帯魚なら
レイアウトしたいとか
殖やしたいとか
コレクションしたいとか



一般に、極端に偏ったヤツらを変態と呼ぶが、色んな文化が合わさって結果的に経済を成り立たせててそれが世の中を回らせてるとしたら変態が世の中回してんじゃないかって思えてきた。

何言ってるんだろう自分。


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今月は色々なことが起きた。

母が脳内出血で倒れ、片麻痺になった。
右半身は触っても感覚がないということ。

お盆の間病院と家との行き来で病み、
気付けばオリンピックは終わっていて、

少し疲れた

母は命は取り留めて、意識もあるし、
家族のことをにんしきしている
だけど、私の名前を忘れる程度には前頭葉にダメージを受けてしまった。

ただの出血なのに、
鼻血が出るのと脳から血が出るのとではこうも違う
脳だけでこんなに何もかもが変わるのなら全く生き物は機械だなと思った。

生き物の命など宇宙からすればチリほどの価値もないのかもしれない。

これまで生き物は繁栄と絶滅を繰り返してきた
生き物は他の生き物を生かすための栄養源でしかなく、そういうものなのだと、ずっとそう思っていた 多分今も、これからも。。

だから、これまでどうして人は自殺を止めるのか、どうしても分からなかった。
自分の命だし 
たかが生き物ひとつの命などいずれは必ず無くなるものだし何故それが今ではダメなのか。
世の中にとって在っても無くても何も変わらないものを自分の希望でひとつ減らして何故いけないのか。

でもその時、
私の目の前にいるのは私の母で、
明日起きたら母はどうなっているのか
死んでしまうのかもしれない
昏睡状態のまま目が覚めないかもしれない
私を忘れているのかもしれない
そういうことを考えた時
今まで自分が自殺について考えていた理屈や価値観は通用しなかった
宇宙にとって、生き物にとっての命と、
個人にとっての命は同じじゃなかった。
多分、それは人に限らない。

母が生きてくれたそれだけでよかった

そう思った感覚を忘れてはいけない


母が看護師さんに介助されながら、駄々をこねる姿を見て、
出来ないと思った


介護疲れで親を殺す人がいる
その人の立場にならねば、何も分からない

これからのことを考えるとおかしくなりそうだけど、
1番おかしくなりそうなのは母本人で、
周りを頼らなければ自分を守ることも出来ない体で生き続ける恐怖はどれ程のものだろう


誰も悪くないし
 
これが現実だし

生きるなんて大体みんなこんなもんだと思う。

淡々と生きる。